2026-06-03 — daily log
6月3日、今日は足に重たさを感じるので走らないことにした。昨日も走りに出かけたが、先週末のトラックレースの疲労が残っている感覚があったので200mでやめた。
足が重いことは多くの場合休むべきサインであるし、今週末に八ヶ岳のクロスカントリーレースが控えているので、焦らず体を休めていきたい。
今日は昨日投稿した、正しい心と適切なフォームで行う神秘的な運動の続きとして、"適切なフォーム"について考えてみる。
この前編のタイトルになっている言葉は、SHOE DOGの中でジョンソンのランニングに対する捉え方として紹介されていたものだ。
自分の理解として、正しい心とは、心の良し悪しに関係なく望みを持っている心、と昨日の文章に残した。
それでは、適切なフォームとは何だろうか。
自分の中では、"与えられた身体で表現できる最善のフォーム"と考えている。
人それぞれ身体の構造や特性は異なっており、ある特定のフォームが誰しもに合うとは限らない。ケニア人と日本のトップランナーのフォームが違うように。
与えられた身体という先天的な要素を把握した上で、心地よく走れる形を求めて努力した先に適切なフォームが見つかるのだと思う。
ここからは、どのように適切なフォームに近づけていくか考えてみたい。僕はランニングフォームに対する専門的知識があるわけではないので、各個人にフィットしそうな目指すべきフォームがある前提で、どう近づけるかにフォーカスを当てる。
まず、"与えられた身体で持っている力を可能な限り出せる状態"を維持することが最も大切だと思う。
ランニングや日々の生活での疲労蓄積や、健康を害していると、出せるはずの力が出せなくなってしまうことがある。自分はランニングを長く続けているが、その日の状態によってフォームの軽快さが大きく変わることに、ここ最近気づき始めた。
疲労が溜まった重い体で走っても、純粋にランニングを楽しめないし、フォームが崩れることで怪我にも繋がってしまう。レースに向けて走り込んでいると、常に100%の力を出せるような状態になることはないが、それでも最善のケアを尽くす必要はある。
身体の状態を維持しようとすると、睡眠や食事での疲労回復やマッサージやストレッチで体をケアすることが欠かせない。睡眠の質や体の硬さに向き合っていると、ストレスが原因になっていることもあり、心の健康に対しても目が向き始める。
このように心身と向き合って、可能な限り力を出せる良い状態にしておくことが大切だ。
そして、良い状態を維持することに加えて、自分の力を伸ばしていくことも必要だ。ランニングにおいては、筋力、柔軟性や体を動かす技術などだろう。
筋力によって必要な出力が得られて、柔軟性によって可動域が確保され、技術によってそれらを統合して美しいフォームに近づいていくのだと思う。
これらの要素がバランスよく伸びていくことで、フォームは向上していく。走りはじめはどれか一つにばかり集中してしまうが、必要に駆られた際に他の要素を伸ばし始めれば良いと思う。
こうして、自身のコンディションを維持しつつ、力を伸ばしていくことで、ジョンソンが言う適切なフォームに近づいていくのだろう。
これらはランニングのために取り組み始めることではあるけど、やっているうちにそのケアをすること自体が心地よくなり、僕は続けられている。身体に良い食事を取ったり、ヨガで体や心を落ち着けたり、トレーニングをしたり。
こうやって身体に向き合っている中で、新たな楽しさの発見に繋がるし、暮らしが良い方向に進んでいる感覚になる。
ここまで適切なフォームにどう近づけるかを考えてきて、今さら気づいたが、ランニングライフを送っている中で適切なフォームを最初から追い求めることなかなかないと思う。
自分の場合は、ランニングを通して自己や記録と向き合っている中で、力不足や怪我など様々なことを経験した結果、必要に駆られコンディションやパフォーマンスに意識を向け始めた。
故に、適切なフォームを求めるのではなく、ランニングに向き合っている過程で、適切なフォームに近づいていくということなのかもしれない。
そう考えると、ジョンソンが言う"正しい心"を持っていれば、適切なフォームに近づく。もしかすると、正しい心と共に、その日に出せる最善を表現していること自体が正しいフォームなのかもしれない。
今週末に、正しい心と適切なフォームでレースを走れるように、あともう少し調整していこう。